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    かけはし2021年4月12日号

コラム「架橋」


職場の「森喜朗」


 東京五輪組織委員会の会長森喜朗が2月、女性差別発言で批判を浴び辞任した。その1カ月後には、開閉会式の演出を統括するディレクター佐々木宏(電通出身)が昨年、女性芸人を動物に見立てた案を出していたことが発覚。これまた辞任した。金まみれ利権まみれのオリンピックは、人権感覚とは無縁の一部の面々によって準備が進められていた。
 枚挙に暇がないこれら差別主義は、政府―企業―職場―家庭を貫いている。労働者が一日のほとんどを過ごす現場は日本社会の縮図である。パートの女性を「オバさんたち」、学卒の女性新入社員を「女の子」とか下の名だけで呼ぶ。派遣社員を「ハケン」など吐く輩がいる。言う側におそらく悪気はなかろう。だが受ける側にはマイナスイメージであり、弱い立場を見下す蔑称として響いてくる。
 こうした光景は、その企業が一部上場や中小・零細といった規模とは無関係のようだ。もし関連づけるなら、人事・採用担当者の知性や品格が問われてくる。だが優先されるのは即戦力能力であり、経営者へのロイヤリティであろう。私は前職で上司である後輩が差別用語を濫用しているのをしばしば注意した。しかしついに止めなかった。同僚の女性らも不快感を表には出さなかった。すべての従業員がこうなのではない。表現が突出した、人格的に未熟な人物がいるのである。
 雇用延長を辞退した定年退職前後。私は解放感に包まれ、好きなことに打ち込んだ充実した毎日を過ごした。だが長くは続かなかった。特に辛かったのは転職先の採用可否の連絡が遅かったことである。重複志願もできず悶々とした。まさに「蛇の生殺し」だった。
 失業補償受給には求職活動が前提となる。ある企業に応募し面接まで進んだが、その席で私は本命の就職先を語り、あえなく不採用となった。辞退確実の相手で、つまらぬ汚点を残した。
 4月に施行された「改正高年齢者雇用安定法」は、70歳までの労働機会を確保する努力義務を企業に課す。しかしこれに未対応の企業が「5割弱に上る」(4月1日・東京新聞)ことが調査で分かった。高齢者の爆発的増加は年金原資の問題に加え、社会保障費のさらなる負担を労使双方に求める。政府が「努力義務」としたのは資本の反発に配慮した結果だ。冗談ではない。老後の生活に十分な蓄えとなる退職金や年金で、労働者は希望次第で労働から解放されるべきなのだ。
 バリバリの管理職が定年後も未練がましく職場に残り、経験主義で先輩風を吹かせ、お山の大将よろしく上司や部下を睨みつけ、発言力と影響力を誇示する。後進にとってこれほど迷惑な存在はなかろう。パワハラとセクハラの権化「職場の森喜朗」はきっと、どの集団にも表れるのだ。(隆)



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